ゴシップ大好き領事の奥様
ある日の領事部パスポート作成室
私は午後にパスポートを作成する担当だった。
領事部の業務は午前9時〜13時頃までが窓口、午後14時〜18時までが受けた申請の事務処理作業となる。この午後の時間に、スタッフ1人がパスポート作成室に派遣される。
これは大体一ヶ月交代の業務で、ビザ・パスポート課のスタッフ8名程のうち1人が受け持つ。
で、私はこの仕事がとても楽しみだった。
作成室自体は普通のオフィス事務所と何ら変わりはない。事務机とパソコンが数台、あとはパスポートをラミネートする小さな機械。部屋自体は何の変哲もない。
ちなみに業務に使わないパソコンは、誰が何のサイトを見たのか、慢性的にウィルスに侵されていた。
で、何が楽しみだったかというと、領事の奥様方と触れ合えることだ。
実はこの事務室の主な働き手は、ボランティア(暇つぶし)で来ている領事の奥様方だったのだが、そろって個性派揃い。
彼女たちは基本的にずっとしゃべっている。内容はほのぼのするものからプライベートネタまで多岐に渡り、毎日飽きることがなかった。
今回は一番最初に思い出した話を書こうと思う。
●大使館本館パーティーの翌日の会話
※奥様方スペック
奥1→日本語が少しできて、私は知的という雰囲気を推してくるが、割と感情的な50代スリム眼鏡奥様。声が高い。日本好き。
奥2→体のラインに沿う服とヒールがお好みの、美容意識高めで明るい髪色の50代ぽっちゃりパーマ奥様。声が大きい。料理上手。
奥1「昨日さ、パーティーのあと官舎に帰るときエレベーター乗ったのよ」
奥2「あ〜昨日めっちゃ楽しかった〜」
奥1「それはそうだけど、聞いてよ」
奥2「え、なになに?」
奥1「ゲロがあったのよ」
奥2「え?ゲロ?どこに?」
奥1「だからエレベーターよ。チンてドア開いたら、もうそこはゲロよ。床を覆い尽くす一面のゲロ」
奥2「やだぁ〜!誰よ〜」
奥1「その時は分からなかったのよ。それで今朝ね、分かったの」
奥2「どゆこと?誰だったの?」
奥1「L領事よ」
奥2「え⁉︎あの真面目な?」
L領事は私たちスタッフの間でも堅物という印象で、飲み過ぎてゲボぶちまけるなんて想像もできない人だった。
よしんば吐いたとしても、ちゃんと責任をとって処理しそうなイメージだ。
奥1「今朝私とSさんとL領事が同じエレベーターに乗ったの。それでね、Sさんに昨日のゲロのこと話したの。信じられないわ、誰かしらって。Sさんもビックリしてて」
奥2「うんうん、そしたら?」
奥1「その会話を聞いてたL領事が突然『僕だよ、はは…』って。言い捨てて次のフロアで降りて行ったわ」
奥2「なんなのよそれ。怖いわ。離婚の影響かしら。だいぶきてるわね、彼」
領事は離婚歴のある人が割といた。数年スパンでの海外赴任が多く、すれ違いや引越しが多いのことが原因だと思われる。L領事も最近離婚したばかりだと聞いた。
奥1「そうなのよ…最後の自嘲気味な笑いに哀愁を感じたわ。なんだか私もう気まずくて…けどそんなことある?しかもあの量…」
奥2「本当にそんな多かったの?」
奥1「言ったじゃない!床一面よ!」
床一面。中国語で「满地全是」と表現していたのでよっぽどだったのだろう。しかしそんな量のゲボ、私は梅図かずおの漫画でしか見たことない。奥さん、ちょっと盛ってやしないか。
何も聞いてませんというふりをしていたが、もちろん耳はダンボ。私はこの情報で内心大いに湧き立ち、すぐに同僚の日本人スタッフ達に報告したのは言うまでもない。