元中国大使館員の思い出

15年くらい前に中国大使館領事部でお勤めしてました

ゴシップ大好き領事の奥様

ある日の領事部パスポート作成室


私は午後にパスポートを作成する担当だった。

領事部の業務は午前9時〜13時頃までが窓口、午後14時〜18時までが受けた申請の事務処理作業となる。この午後の時間に、スタッフ1人がパスポート作成室に派遣される。


これは大体一ヶ月交代の業務で、ビザ・パスポート課のスタッフ8名程のうち1人が受け持つ。


で、私はこの仕事がとても楽しみだった。


作成室自体は普通のオフィス事務所と何ら変わりはない。事務机とパソコンが数台、あとはパスポートをラミネートする小さな機械。部屋自体は何の変哲もない。

ちなみに業務に使わないパソコンは、誰が何のサイトを見たのか、慢性的にウィルスに侵されていた。


で、何が楽しみだったかというと、領事の奥様方と触れ合えることだ。

実はこの事務室の主な働き手は、ボランティア(暇つぶし)で来ている領事の奥様方だったのだが、そろって個性派揃い。

彼女たちは基本的にずっとしゃべっている。内容はほのぼのするものからプライベートネタまで多岐に渡り、毎日飽きることがなかった。

今回は一番最初に思い出した話を書こうと思う。


●大使館本館パーティーの翌日の会話

※奥様方スペック

奥1→日本語が少しできて、私は知的という雰囲気を推してくるが、割と感情的な50代スリム眼鏡奥様。声が高い。日本好き。

奥2→体のラインに沿う服とヒールがお好みの、美容意識高めで明るい髪色の50代ぽっちゃりパーマ奥様。声が大きい。料理上手。

 

奥1「昨日さ、パーティーのあと官舎に帰るときエレベーター乗ったのよ」

奥2「あ〜昨日めっちゃ楽しかった〜」

奥1「それはそうだけど、聞いてよ」

奥2「え、なになに?」

奥1「ゲロがあったのよ」

奥2「え?ゲロ?どこに?」

奥1「だからエレベーターよ。チンてドア開いたら、もうそこはゲロよ。床を覆い尽くす一面のゲロ」

奥2「やだぁ〜!誰よ〜」

奥1「その時は分からなかったのよ。それで今朝ね、分かったの」

奥2「どゆこと?誰だったの?」

奥1「L領事よ」

奥2「え⁉︎あの真面目な?」


L領事は私たちスタッフの間でも堅物という印象で、飲み過ぎてゲボぶちまけるなんて想像もできない人だった。

よしんば吐いたとしても、ちゃんと責任をとって処理しそうなイメージだ。


奥1「今朝私とSさんとL領事が同じエレベーターに乗ったの。それでね、Sさんに昨日のゲロのこと話したの。信じられないわ、誰かしらって。Sさんもビックリしてて」

奥2「うんうん、そしたら?」

奥1「その会話を聞いてたL領事が突然『僕だよ、はは…』って。言い捨てて次のフロアで降りて行ったわ」

奥2「なんなのよそれ。怖いわ。離婚の影響かしら。だいぶきてるわね、彼」


領事は離婚歴のある人が割といた。数年スパンでの海外赴任が多く、すれ違いや引越しが多いのことが原因だと思われる。L領事も最近離婚したばかりだと聞いた。


奥1「そうなのよ…最後の自嘲気味な笑いに哀愁を感じたわ。なんだか私もう気まずくて…けどそんなことある?しかもあの量…」

奥2「本当にそんな多かったの?」

奥1「言ったじゃない!床一面よ!」


床一面。中国語で「满地全是」と表現していたのでよっぽどだったのだろう。しかしそんな量のゲボ、私は梅図かずおの漫画でしか見たことない。奥さん、ちょっと盛ってやしないか。


何も聞いてませんというふりをしていたが、もちろん耳はダンボ。私はこの情報で内心大いに湧き立ち、すぐに同僚の日本人スタッフ達に報告したのは言うまでもない。

ナチュラルボーン不法滞在

ある日の領事部


不法滞在だって恋愛はするしセックスもする。その結果、子供ができることだってある。権利や立場ウンヌンはおいといて、人の営みってそんなもんだろう。


その日ご来館したのは20代中国人女性。お一人でご来館。自分と子供の中国パスポートの申請に来た。子供と言っても生後3ヶ月ほどの赤ちゃん。


私「お父さんお母さんのパスポートと、外国人登録カードも見せてください」

母「あ…あのあのあのあのあの…」

落ち着け?と思いながら次の言葉を待つ。

母「あたし、密入国だから、あの…」

私「お父さんは?」

母「あのあの…同じ密入国。だからまだ結婚もしてない…」


通常日本で産まれた子供は、親のビザに基づいた在留資格を取得するため、両親にビザがないと必然的に子供も在留資格無しとなる。

無駄な相乗効果で生まれた生まれつき不法滞在の赤ちゃん。それが割といた。


本人が書いた陳述書によると、経緯はこうだ。子供の父親とは友人の紹介で知り合い、いい感じになり付き合うことに。夜の仕事で疲れた彼女を癒してくれたところ、彼女の友達や中国の家族にも優しく接してくれたことが惚れポイントだったとのこと。

しばらくして妊娠が発覚。迷ったが授かった命を産むことに。


で、めんどうなのはここからだ。密入国船に乗ってどんぶらことやって来た両親にはパスポートがなく、中国籍を証明するものがない。となると、中国籍が認定できない子供にも、中国パスポートを発行するわけにはいかない。

ということで、まず親が中国人であると証明する書類から必要となる。中国国内で発行された「出生公証書」「国籍公証書」だ。中国は戸籍制度がないので、身分や国籍を証明する公文書として公証書を発行する。

すぐ書類がそろわなかったりするので、これがまた時間がかかる。

どっからどう見ても中国人なんだから、もうパスポート出してよくね?みたいな気分にもなりがち。

大前提だが、中国大使館は在日中国人の生命や財産、権利を保護する立場であり、不法滞在者もパスポートは申請可能だ。


このお母さんは先輩密入国ママに聞いたのか準備万端で、公証書も全てそろっていた。

文章が苦手な彼女のため、陳述書は友人が代筆してくれたそう。

申請は無事受け付けたので、あとは領事の判断を待って問題なければ赤ちゃんのパスポートは発給される。


あまりに心許ない状況で生まれてしまった赤ちゃん。母親も今はまだ親戚な友人に支えられているが、所詮は他人だ。いざとなれば、自分の身と引き換えにしてまで助けてくれることはないだろう。


まだ首も座らず、おくるみに包まれてベッドの上で撮られた証明写真を思い出す。ぼんやりと周囲を捉えている黒い瞳。あれから17年。今は世界がはっきりと見えているだろう。

もう家族で中国に帰っているといい。

大使館員オススメの本2

領事部時代に回し読みした本や、個人的にオススメな中国関係書籍の紹介パート2です。

 

●お笑い超大国 中国的真実 鷹木敦https://amzn.asia/d/4PyD3JQ

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中国の新聞から仰天おもしろニュースを切り出して、著者の感想と共にまとめた一冊。

「麻雀のしすぎで、老女急死」「スイカをむさぼり食って胃が破裂」「人を食べて滋養強壮?」

もう記事タイトルだけでワクワクが止まらない。読書中「なんでそんなことなんの⁉︎」と何度思ったことか。

面白いだけでなく、当時の中国のトレンドや深く根付いた思想なども理解でき、読み応えがあった。


●都市伝説的中華人民驚話国―仰天三面記事に読む、もう一つの中国 鷹木ガナンシア敦https://amzn.asia/d/0rwmhzm

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「お笑い超大国 中国的真実」の著者による、オモシロ中国ニュース第二弾。

こうもネタが尽きないか、と呆れてしまうほど抱腹絶倒の記事がまたまたたくさん。

いつまでも中国は想像の斜め上。さすが。


和僑 農民、やくざ、風俗嬢。中国の夕闇に住む日本人 (角川文庫) 安田峰俊https://www.amazon.co.jp/dp/B01EH126FY?ref_=cm_sw_r_apin_dp_MYEPBEZAXNY003Y0GGZH

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様々な理由で中国に渡り、そこで生き抜く日本人たちを取材したルポ。と言っても商社マンとかではなく、どちらかというとグレーな世界の人たちのクセ強チャイニーズライフ。

だからと言って都落ちのような消極的な生き方ではなく、むしろ中国という暴れ川の中で何かを掴み取ろうとがむしゃらに泳いでいく。

それにしてもどいつもこいつもすげぇステージで勝負してんな、と生き方に感嘆した。

 

般若心経パスポート

ある日の領事部

日本在住のインドの方が中国ビザの申請に来た。出張とのこと。

バリバリのビジネスマンで、この日もパリッとしたスーツでご来館。日本語も流暢だ。

書類は問題なし。続いてパスポートの確認。

私「パスポートを拝見いたします」

イ「はい、どうぞ」

そう言って背広の内ポケットから、分厚いパスポートを取り出す。その厚さ、およそ5センチ。

なぜそんなに分厚いのかと言うと、以前のパスポートを全てホチキスで留めているから。

古いパスポートの表紙と、新しいパスポートの背表紙をホチキスで留める。その上にまた次のパスポートを留める。そうやってパスポート更新の度に重ねていく。

表紙と背表紙が繋がっているので、うっかり手を滑らせると、ベローンとアコーディオンの様に広がる。

初めて見た時は、こんな使い方していいのか、と驚いた。

こうした使い方は主に中東と南アジアで散見された。中でもパキスタン人とインド人は特に多かった。

理由はおそらくビザのためだと思われる。

彼らは入国にビザが必要な国が多い。

世界を股にかけるビジネスマンともなると、出張の度にビザが必要になり、パスポートのページがあっという間に埋まってしまう。

空きページがなくては出入国に支障があるので、新しいパスポートを作る。しかし有効なビザは前のパスポートに貼ってあるため、渡航の際には前のパスポートも持っていく必要がある。

そうして出来上がったのが、あの般若心経のようなパスポートだ。

1冊が半年もたない人とかザラだった。

出入国スタンプもぎゅうぎゅうに押してある。ある時、これってなんでこんなぎゅうぎゅうなの?と聞いたら、空港係員に詰めて押せとお願いしている、とのこと。

見慣れてくると、歴戦のパスポートって感じでカッコよく見えてくる。

大変だなぁ。

日本パスポートって便利だなぁ、と改めて思った。

不法滞在の帰り方

 

不法滞在者がどうやって帰るのか。

多くの人は全員もれなく強制送還だと思っているのではないだろうか。

実はそうでない人もいる。それが出頭だ。

めちゃくちゃ簡単に言えば、捕まった人は強制送還、自分で帰りますと入国管理局に自首した人が自主帰国。今回はあまり知られていない自主帰国の流れについて。ただし、あくまで私の知っている当時の中国人不法滞在者の場合に限る。

例えば自分が不法滞在者だとする。金も稼いだし、そろそろ中国に帰ろうかなと思う。しかし日本のビザも、パスポートの期限も切れている。このままではチケットも買えない。

そこで最寄りの入国管理局に出頭だ。

すると入管が出頭した証明書をくれる。おそらく入管で余罪や他の犯罪との関わりの有無などを調べられ、問題なければ発行という流れなのかな、と思う。

そして出頭証明書と、中国籍であることを証明する書類などを中国大使館に持って行くと「回国証明書」が発行される。回国とは中国語で帰国の意味。

この証明書はパスポートのような冊子の形ではなく、A4の一枚の紙だ。

内容はパスポートの個人情報ページとほぼ同じ。名前や生年月日、顔写真など。

このA4の紙一枚で飛行機に乗って帰国して行く。

こういった不法滞在者本人による申請は、大体毎日5〜6人。


出頭証や帰国証明をゲットしていれば、万一入管職員や警察に職質されても大丈夫。もうビクつく必要はない。

あたしゃもう帰りますんで!とドヤ顔できちゃう。


ちなみに捕まって入管に収監された場合は、入管からまとめて書類が送られてくる。こちらは一日平均10人分ほどだった。

なので一日で15人前後の不法滞在の回国証明書を作成していた。

毎日それだけ作っているとマヒしてきて、ただの事務作業になってくる。

が、一番最初に作った時に「え、こんな紙一枚で飛行機乗れるんだ、すげぇ。てかどこにスタンプ押されんだろ」と驚いたのは今でも覚えている。

大使館員オススメの本

当時はよくスタッフ同士で本の貸し借りがあった。皆興味のある分野は同じなので、読後の話も盛り上がる。特に面白かったもを2冊紹介します。


●妻は密入国者  諸星浩https://amzn.asia/d/5WkzLdF

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不法入国で来日した中国人妻との馴れ初めから結婚、ビザ取得までの実体験をまとめた一冊。

不法入国の申請者と触れ合うことはほぼ毎日だったが、相手の日本人はどういう人なのか常々気になっていた。領事部では知り得ない入管での手続きの詳細も分かり、勉強になった。

個人的には著者が領事部に来た時の描写がカオスで苦笑いしてしまった。毎日そこにいるんだけどなぁ笑

 

●無国籍 (新潮文庫)  陳 天璽https://amzn.asia/d/9flMt0F

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中華民国人、つまり台湾人として日本に生まれたものの、日中国交正常化に伴い無国籍となってしまった著者の半生を描いた自伝。

大使館で働くまで、私の無国籍の知識はトム・ハンクスの「ターミナル」とフジコ・ヘミングのみ。たぶん日本じゃ数人だろくらいのアホ認識でいた。

ところがどっこい。領事部で無国籍の人を見ない日はなかった。政治的、歴史的背景によって無国籍になってしまい、社会生活上も苦労している彼らの現状を目の当たりにした。そんな中、辛い思いをしながらも、攻めの姿勢を崩さない著者の生き様には感銘を受けた。

なんというか、バイタリティの質が日本人とは根本的に違うなぁと。逞しさに圧巻。

そして無国籍というマイノリティの認知がもっと広まり、生きやすい社会になればいいな、と改めて思った一冊。

 

他にも面白い本あるので、またの機会に紹介します。

 

神様仏様バングラデシュ様

ある日の領事部


その日私はビザ申請の窓口にいた。受け付けるのは中国ビザと香港ビザ(正確には香港入境許可証)


中国より香港の方がノービザで行ける国が多い。なので香港ビザの申請は1日3件前後と少ないのだが、これがまぁめんどくさい。

必要な書類が在職証明や預金残高証明など、申請前にしっかり準備しないとならないものばかりだ。


今日は香港ビザ来るかな〜なんて思いながら仕事をし、あるバングラデシュ人の中国ビザ申請を受けた。

中国ビザは必要書類が少ないのでサラッとチェックして終わり。今思えば流れ作業になっていたのが良くなかった。


数週間後、窓口の閉まった午後の時間にそのバングラデシュ人が再びやって来た。

通常入れない時間なのだが、インターホン越しにどうしても入れてくれ、緊急の話があるとのことで特別に許可され入館。


最初は領事が話を聞いていたが、そのうち申請を受けた私も呼び出された。

私「えっと…どうされましたか?」

バングラ「先日こちらでビザをいただきましたが、このビザでは香港に行けないと成田で言われました。さっき空港から急いで来ました。どういうことですか?」


全てを悟った。変な汗がじっとり出てきた。恐ろしいミスした。やべぇ。

香港ビザ必要な人に、中国ビザ出しちゃった。しかも飛行機乗れなくて戻ってきたとか、めちゃくちゃ申し訳ねぇし、最悪エア代出さなきゃダメなのか⁉︎とかいろいろ考えちゃって22歳の私は頭真っ白。


固まっていた私に領事が、申請書を確認して来いと言った。

はっと我に返り、書類保管室にダッシュして彼の申請書類を血眼で探す。もし渡航先欄に「CHINA」とあれば、ワンチャンこちらのミスではないことになる。まぁ今になるとその思考回路もどうかと思うけど。


果たして見つけた書類には、しっかりと「Hong Kong」と書いてあった。

オワタ…オワタヨ…謝らなきゃ…飛行機代弁償カナ…怖いよ…。


書類を握りしめてプルプルしながら謝罪会見。

私「まことに!まことに!もーしわけありませんでしたっっ!」

バングラ「いえいえ、今日香港のビザもらえれば大丈夫ですよ。良く確認しなかった僕も悪いから」

私「あへぁぁ…あんた神さまやぁぁ…謝罪感謝雨あられ…」


飛行機はすでに夜の便に振り替えたとのことで、懸念したエア代弁償はしなくて大丈夫だった。

クソめんどうな書類は、領事があとで持ってくればいいと許可をくれ、ビザは作成スタッフの中国人のおばちゃんにこれまた土下座の勢いで頼み込んでその場で速攻作ってもらった。

領事部であんなに早く出た香港ビザはかつてないと思う。


いい人で本当に良かった。

今でもカレー屋でバングラデシュ人を見ると変な汗と共に思い出す。

 

その節は大変申し訳ありませんでした。