元中国大使館員の思い出

15年くらい前に中国大使館領事部でお勤めしてました

不法滞在の母子

ある日の領事部


毎日のように不法滞在、不法入国が来館する中国大使館。その中でも深く印象に残っている、ある母子の申請。


中国籍のお母さんが一人で来館。韓国籍の息子さんの中国ビザの申請に来た。

韓国人のだんなと離婚したので、小学生の子供を連れて中国に帰ることにしたと言う。


ややこしいかもしれないので軽く説明する。分かる方は飛ばして下さい。


お母さんは日本で、いわゆる在日の男性と結婚し、息子を出産。両親のどちらかが中国籍でない場合、子供は自動的に中国でない方の国籍となる。なので、そのお母さんの子は自動的に韓国籍となった。

今はどうか知らないが、当時は一人っ子政策が厳しかったこともあり、できることなら外国籍を取らせたいという流れがあり、この母子もその例だった。


そして今回、韓国籍の息子は中国ビザが必要なので、その申請に来た、という次第だ。


ひとまず提出書類と息子さんのパスポートを確認する。

必要書類はそろっている。が、小学生の息子さんの日本在留資格がない。

元々はあったのだが、それが数年前にきれている。つまり不法滞在だ。小学生にして。


これはなんだかマズそうなにおいがするぞ。自然と眉間に皺がよる。

そんな私の反応を見て、お母さんもソワソワし始めた。


お母さんのパスポートも確認させてもらうと、案の定在留資格なし。

2人とも在日の父親由来のビザ「永住者の配偶者等」というビザだったため、離婚に伴い切れてしまったようだ。


この時点でいろいろ問題はあるのだが、一番大きな問題は、2人は絶対一緒に中国には行けない、ということだ。


日本で不法滞在になっていれば、当然そのまま第三国へ入国することはできない。

まずは入国管理局に出頭し、自国の大使館や領事館で帰国手続きを済ませて、一度自国に帰らないといけない。


息子さんは韓国籍なので、一度韓国に行く必要がある。お母さんも不法滞在なので、息子さんに付き添って韓国に行くことはできない。


つまり2人が日本を出ようとすれば、それは離れ離れになることを意味し、逆に一緒にいるためには日本でひっそりと不法滞在を続けるしかない。


そこで私は、ふと気になり聞いてみた。


私「前のご主人はどちらにいますか?」

母「知りません。殴るので二度と会いたくないです」


なるほど、そういう事情か…。


私「そうですか。でも息子さんは一度韓国に帰らないと中国に行けません。今回だけでもお父さんの助けを借りられませんか」

母「無理ですよ!私たちがどんな思いで逃げてきたと?」

私「…韓国に親戚の方は?韓国で一時息子さんを預かってもらってから、中国に送り届けてもらうというのは?」


無理な提案なのは分かっているが、言うしかない。本当に言いたくなかった。そうして押し問答を続けるうち、ついにお母さんがキレた。


母「この子は私の子よ!母親が中国に連れて帰って何がいけないの⁉︎韓国なんか子供一人で行ってどうするって言うのよ!一回も行ったことないのに!二度と会えなくなったら…あんたどうすんのよっ!」


興奮のあまり肩で息をし、目に涙を浮かべるお母さん。


きっとお母さんが一番よく分かっている。

息子と中国に一緒に行けないこと。日本で人並みの幸せな生活ができないこと。いつか捕まるかもしれないこと。そして何より、息子を不法滞在にしてしまったことを責めている。それでも何とかならないかと、一縷の望みをかけて来館した。


しかし、できることは何もなかった。

結局お母さんは、何もせずに泣きながら帰って行った。


あの男の子も今は20代後半。2人はどうなっているだろうか。 


今の私にはあの時の男の子と同じくらいの息子がいる。

彼女自身の選択の末の状況ではあったが、あのような脆弱な立場で、一人で子育てをしなければならない母親の気持ちを想像すると、目の前が真っ暗になる思いだ。


今でも思い出すと胸が苦しくなる。