元中国大使館員の思い出

15年くらい前に中国大使館領事部でお勤めしてました

本当の身分で結婚したい  

ある日の領事部


20代後半、不法入国した中国人女性のパスポート申請。日本人の婚約者とご来館。


女性「あの〜おらぁ〜パスポートなぐで〜あるんだけどぉ〜…えっとぉ…」

婚約者「あ、あの…彼女、不法入国なんです!パスポートの申請に来ました。よろしくお願いします」

危機感に欠けた牧歌的なノリの女性と、やや気の弱そうな公務員風の男性。

※女性は中国語はとても訛っていたので、口調は私のイメージで翻訳している。


彼女は数年前に偽造パスポートで日本に入国していた。ビザは観光用の短期滞在。もちろんキれている。

来日目的は出稼ぎ。主に中国パブのオネェちゃんとして働いていた。

偽造と言っても、パスポート自体は中国の発行機関が作った本物だ。ただ中身の情報が本人のものではない。妹のものだった。

つまり人のパスポートで入国したということ。


なぜそんなことをしたかと、自分のパスポートが作れなかったから。

中国はパスポートの発行にも条件があり、簡単に作れるわけではない。

私は在外公館スタッフだったので国内の手続きの詳細は分からないが、年齢、渡航場所や目的、ビザの有無、場合によっては預金残高なども審査項目となるようだ。


彼女は条件を満たしておらず、仕方なくブローカーに金を積んで妹の身分でパスポートを作り来日。

しばらく借金を返しながら働いていたが、身請けしてくれる日本人男性と出会い結婚することとなった。


しかし今のパスポートのままで結婚してしまうと、書類上は妹が結婚したことになってしまう。そうなると将来的に自分の子供の戸籍や妹の結婚など、いろいろマズいことになるので、この機にちゃんと自分のパスポートを作りたい、というわけだ。


この女性のすごいところは、パスポートの顔写真も妹のものだったことだ。言われなければ気付かない程、本当によく似ていた。こんだけ似てたら写真は本人でも良かったんじゃないかと思ったくらい。


私「え、これ妹さん?そっくりですね」

女性「あ〜よぐ言われます〜!年子で仲も良ぐてぇ〜。けど写真は妹ですぅ、私ではないですぅ、ニセですぅ」

のんびりしている。顔も癒し系だ。こういうタイプって、男の人は助けたくなっちゃうのかなぁ、などと考えながら書類を確認。


不法入国、密入国のパスポート申請は中国国内で発行された「公証書」と言う本人証明書などが必要となる。まずこれの取り寄せに数週間かかる。

書類を揃えて領事部で申請した後も、発行まで時間がかかる。当時は概ね1ヶ月ほどだった。

領事が書類を審議しているということになっているが、実際はほぼ引き出しの中で寝かせているだけ、という感じだった。


そんな紆余曲折を経て本物パスポートをゲットしたら、次は役所と領事部での結婚手続きと、最終難関である入管のビザ申請。


申請者本人にしたら、待ってる間もたまったもんじゃないだろう。

せっかくいい男見つけて何とかなりかけてるところで捕まったら全てオジャン。強制送還されて、残るのはブローカーへの借金だけ。地元に帰ったって稼げる仕事なんかない。どうなるか分かったもんじゃない。


細い細い綱渡りで、果てしなく遠いゴール。

こんな結婚もあるのかぁ、とため息が漏れた。

書類は問題なかったので申請を受け、後日受け取り日を連絡しますと言って帰した。


女性「謝謝〜またね〜」


彼女なら、誰かがまた助けてくれたりするのかなぁ、なんてちょっとだけ羨ましく思った。